大阪泉南アスベスト国賠訴訟(第1陣)の概要と意義
〜勝訴判決を被害救済制度の確立の礎に〜

2010.1.30
泉南アスベスト国賠弁護団

1 訴訟の概要

・2006年5月26日提訴。現在原告30名(被害者26名)。
・2009年11月11日結審
・2010年5月16日判決予定

2 泉南地域の被害の特徴

 泉南地域は、戦前(約100年前)から、我が国の石綿産業(石綿原石から糸、布、ひも等を作る一次加工業)の中心地であった。多くの零細工場ないし家内工業が住居・田畑に隣接して集中立地し(「石綿村」と呼ばれた)、戦前は軍需産業を、戦後は船舶・鉄道・自動車・建設等など大企業に石綿製品を納入するなど基幹産業を支えてきた。零細ないし家内企業がゆえに石綿工場は劣悪な労働環境であり、石綿原料から糸、布をつくるという最も石綿に曝露しやすい危険な作業を、貧困層が家族ぐるみで担った。また、工場外への石綿粉じんの飛散もあった。
そのため泉南地域の石綿による健康被害も戦前から現在まで長期にわたり、従業員、家族、工場近隣住民や作業者、などに広範に広がった。

3 審理で明らかになった国は「知っていた。できた。やらなかった」

(1) 国は「知っていた」→ 石綿による健康被害の発生の医学的知見と認識は存在していた。
(2) 国は「できた」→回避可能性(工学的情報)は十分にあった。 
(3) 国は「やらなかった」→必要な規制権限行使を怠った。

4 泉南地域から最初に国の責任を問う必要性

第1に国は、石綿の有害性を知りながらアスベスト政策を推し進めたのであり、泉南の被害に対し、直接的な責任を負う。

 国は、石綿の有害性を認識しつつ、その有用性(耐熱・耐火など)ゆえに戦前の軍需産業、戦後の高度経済成長のなかで石綿産業の保護育成を優先させて適切な規制を怠った。特に泉南地域では大半が零細企業、家内工業であり、自主的に高いコストかけて安全措置を行うことは想定しがたく、被害防止のためには国による規制が不可欠であった。国は、泉南を「捨て石」にしてきたのであり、その被害発生・拡大に重大な責任を負う。

第2に国が泉南の被害を知りながら適切な規制を行わなかったことで、その後の多方面にわたる被害を拡大させた。

 国が泉南での被害発生を受けて国が適切な規制を行っていれば、石綿は戦後の経済成長期において、建材等用途を広げ、社会の隅々に遍在することはなかった。特に建材等アスベスト被害は、生産・製造・解体・廃棄の過程で労働者、家族、住民に被害を発生させるものであり、生産中止をした後もストック(石綿の累積輸入量は1000万トンであり、そのうち70〜80%が建材に使用)がある限り、被害発生の危険性が続く。
アスベストによる健康被害は、泉南地域だけのものではなく、全国で過去に石綿に曝露した人が20年〜40年の潜伏期間を経て今後発症する、あるいは、将来曝露する危険性があり、全ての国民にとっても身近に起こりうる。裁判で過去の国の責任を明確化する必要がある。

第3に、国の責任を明確化することによって、過去の被害救済及び将来の被害発生防止について全面的な解決を目指す。

 2007年2月に成立した石綿新法をもって幕引きを考えているが、この新法は「隙間のない救済」といううたい文句にはほど遠い。 
?対象疾病は中皮腫と肺がんのみであり、泉南地域で圧倒的に多い石綿肺は対象から除外されている。同様に、全国で多数の存在が予想される建築現場で石綿粉じんに曝露して石綿肺になった一人親方も、労災の対象にならず、また、新法からも除外されている。
?給付額(例えば療養手当は月10万円)も低い。
→新法は国の責任を認めたうえでの補償法や賠償法ではなくいわば「気の毒」な人を救うための「救済法」との位置付け。今回の訴訟で被害発生と拡大についての国の責任を明確化することによって、石綿肺を含めた真に隙間のない十分な「補償法」のシステムの構築を求める必要性がある。
過去の国の責任を明確にすることによって、過去の被害救済のみならず、今後発生するであろう被害の救済そして、将来の被害発生防止のためのより万全な対策実施を目指す。

5 さいごに〜この裁判を通じてアピールしたいこと〜

 「公害は被害に始まり被害に終わる」
 「被害は自明ではない。発見されるものだ」
 「過去に目を閉じるものは現在に対しても盲目である。」
    
 被害の発生・拡大の責任の所在を明確にしないかぎり、本当の意味での
 被害救済や被害防止はない。

以上

 

 

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