大阪公害患者の会連合会 - #2010-5-20 (33-8)事務局ニュース
■泉南アスベスト国賠訴訟 国の責任認め原告勝訴!
5月19日、裁判所前の小公園において午後
12時30分より判決行動が行われました。裁判所周辺は、原告団、弁護団、支援する会の人たち、マスコミの方などたくさんの人たちが判決を見守っていました。
判決前集会では、法廷に入る人たちを送り出した後、川崎ゆたかさんの歌声で始まり、市民の会の柚岡さん、人肺弁護団の中島弁護士、大阪から公害をなくす会の芹沢会長など多くの団体が次々に挨拶されました。皆さんはそれどれにアスベストの恐ろしさ、被害を知りながら利益を優先してきた国の責任を明らかにする日であり、必ず勝利判決を勝ち取ると決意を示しました。
10時45分「勝訴」の旗を手に弁護士が現れると大きな拍手と、万歳万歳の声が裁判所周辺にこだましました。みんなの表情は喜びにあふれ、涙ぐむ人たちも少なくありませんでした。
弁護士より判決の内容についての報告があり「国の責任を認めた画期的な判決!今まで認めてこなかった国を明確に断罪する判決だ」と報告しました。全国連合会を代表して森脇代表は、20年前の西淀川裁判の判決を思い出しながら判決を聞いた。こんなうれしい判決はない。
全面解決に向けた闘いはこれからですと挨拶しました。
原告の方からは、支援の皆さんへのお礼を述べた後、ノーアスベスト社会に向け引き続き頑張りますと決意を述べました。
場所をいきいきエイジングに移し改めて詳しい判決の中身について報告集会を行いました。
判決では亡くなった元労働者については2500万円、生存している元労働者については病状の重さによって金額が決められる事に、高い基準が示された。 近隣住民の遺族2名と60年までに石綿関連工場から離れた元労働者については認められず、弁護団はこの不十分な点については今後も闘っていくと強調しました。
各原告からのお礼と今後の闘いへの決意、各団体からの挨拶など続きました。
閉会挨拶で弁護団長は「これで解決したわけではなく今から上京し、明日厚生省前に座り込み控訴させないために要請行動を続ける。政治の力で解決させる。最後の勝利までご支援を」と訴え集会を終えました。
■第35回公害被害者総行動 署名・募金大至急お願い!
総行動は6月3日・4日と目前に迫っており、新幹線や宿泊の予約、事前の大阪市交渉や結団式の準備など成功に向け取り組みを進めています。
署名・募金まだの会員の皆さんへ
各会や個人会員の皆さんにお願いしておりました第35回総行動の署名・募金ですがまだの会員は各患者会や直接連合会へお届けください。
署名については遅くとも28日までに事務局に届くようにお送りください。よろしくお願いいたします。
■大阪市交渉 ぜひ参加してね
例年総行動前に大阪市環境局と保健所との交渉を行いその交渉内容を持って総行動の各省庁交渉に反映させています。
大阪市交渉成功へ是非ご参加下さい。
*5月28日(金) 午後2時
*阿倍野メデックス 12階 研修室
■<第35回総行動> 結団式
総行動参加の皆さんは 是非参加してください。参加されない方も大歓迎です。
*5月25日(火)午後1時30分
*大阪NPOプラザ(福島区吉野ライフ横)
■感想 アスベスト裁判の判決
沖田千恵子(平野)
19日のアスベスト裁判の訴訟は08年8月までに提訴した29人が対象となり(現在の原告数は46人)国の責任はまねがれないとして勝訴という結果に喜びの声が上がり、思わす胸がいっぱいになりました。
「国は知っていた・できた・でも何もしなかった」。大阪泉南アスベスト報告集会の横断幕を見た時に、前日、新聞で読んだ記事を、思いだしました。94年に80歳で亡くなられた梶本医師は、50年以上も前に石綿の危険性を指摘して、石綿肺末期の呼吸困難は断末魔の苦しみと、治療法もないこと。
20年、30年たっても肺がんが多発する可能性がある事を解き石綿をやめなあかん!と各工場を訪れて危険性を訴えられ、その投書も保存されていると書かれていました。この先生の言葉が今、現実味をおびていると思います。
原告団の人達がそれぞれに勝訴に対しての思いを語られました。「4年に渡る歳月の闘いの中でアスベストの被害も知らずに亡くなった人達、30万人の署名・・・皆さんのおかげですと。
弁護団の代表の方は裁判に勝ったと言ってもこれで終った訳ではない、一人何千何万というお金の問題じゃない。皆のための社会の改革業である。ノーモア・アスベストこれからが本当の闘いであり第一歩である。共に頑張りましょう!と」。
30万人署名・・・本当に大変だっただろうと思います。私達も10万人署名が始まっています。1/3の数です。やれば出来ると思います。それにはやっぱり団結!この二文字が浮かびます。雨の中お疲れ様でした。
小幡紀子(城東)
私は判決日に参加するのは初めてです。雨降る中裁判所前にたくさん人が集まっているのにおどろきました。
「勝訴」PM1:35分頃旗をかかげて弁護士さんが走って来る様子に感動と喜びでうれしい涙が止まりませんでした。森脇会長や弁護士さんが宣伝カーで判決の内容について報告し、近隣住民3人が認められなかったと聞いて頭が真っ白になりました。
報告集会でもっと詳しく話されました。「70年前からアスベスト被害が始まっていたにもかかわらず国が責任を果たさなかった事、企業の責任はあまり問うて無かった点はどうなっているのか?働いている人に石綿被害が出てきているのに・・・」一番悪いのはアスベストを扱っている企業であるのは言うまでもないのに3人だけ認められなかったことが腹立たしくくやしかったです。
救済されることを期待しただけにすごくショックで残念でなりませんでした。大学の先生もこれから被害はもっと出てくるだろうと話していましたが、もっとがんばらないと勝てないかと思いました。
和久利さんが連合会で支援してきたことを紹介してくれた事がとてもうれしかったです。まだまだ分かりませんが今までがんばってきて少しは肩の荷がおりたように感じました。
■なんで予防事業が対象やねん
患者会座り込みで訴え
政府の行政刷新会議の事業仕分けに、私たち大気汚染被害者に係わる公害被害予防事業が仕分けの対象になっているとの新聞報道を受けて全国連合会は5月22日いち早く「要望書」を提出。
「事業仕分け」2日目の5月26日には森脇代表が上京、東京患者会の繁野幹事と田島副大臣に即刻申し入れを行う傍ら東京・川崎・千葉などの患者20数名が会場前で座り込み仕分け作業を見守りました。
もともと公害健康被害予防事業は、公害指定地域を解除する際に公害被害の予防、被害者の健康回復事業として加害企業の財源をもとに、国も責任の一端を担うかたちで基金として設立されたもので、損害賠償制度としての性格を持つものです。
この予防事業を「天下りや無駄遣いなどと一緒に仕分けの対象にしたこと事態許せない」「公害被害者をこれ以上苦しめるな」「事業の中身に公害被害者の声を反映させるために事業に公害被害者を参画させてほしい」など訴えました。
事業仕分けでは、廃止、縮小と言うことにはならなかったものの「事業のやり方の抜本的見なおし」と判断されました。今後予防事業について、目を離さずしっかりと動きを見ていく必要があります。